「命に触れ、地域とつながる」JFAアカデミー福島の農業体験 ~蛭田牧場での農業体験を通じて~
【地域とともに生きる、リーダーの育成へ】
春の気配が感じられる3月下旬、JFAアカデミー福島の選手たちは、福島県楢葉町にある蛭田牧場を訪れた。この日彼女たちが挑んだのは、牛の餌やりや搾乳ロボットの見学、子牛との散歩といった「農業体験」だ。
普段はピッチで汗を流す未来のなでしこたちが、土と命のにおいが漂う現場で学んだのは、「食の大切さ」と「地域とのつながり」だった。
今季、正GKとしてゴールを守ってきた福田真央は、当日をこう振り返る。
「牧場に行く機会はこれまでほとんどなかったので、牛乳がどのように摂られているのか、身近なことなのに知らなかったことを知ることができてよかったです。今回の体験はとても貴重な機会でした」
この活動は、JFAアカデミー福島が掲げる人材育成方針の一環として行われた。2011年の東日本大震災後、活動拠点を静岡に移していたJFAアカデミー福島が、再び地元・福島に戻ってきたのは2024年4月。全国有数の農業県である福島を支える営みに触れることで、選手たちの人間性や社会性を育むことを目的としている。
今回の体験を受け入れたのは、楢葉町で約70年にわたり酪農を営む蛭田牧場。震災による全町避難で一時休業を余儀なくされたが、除染と再建を経て2017年に原乳の出荷を再開した。現在は約90頭の親牛と約40頭の育成牛を飼育し、地域とともに歩む酪農経営を続けている。牧場には、先代が30年前に植えた130本の桜が並び、春には見事な花を咲かせる。震災後も変わらず咲き続けるその桜は、地域の復興と再生の象徴ともなっている。
そんな蛭田牧場の営みに触れた経験は、地域の支えとつながりの中で未来のなでしこを目指すアカデミー生にとって、かけがえのない学びとなった。
クラブの女子総務を担当する綿貫円佳氏は、この農業体験が実現した背景を次のように語る。
「私たちは福島に帰ってきて2年目になりますが、蛭田牧場さんとこのような体験をさせていただくのは今回が初めてです。アカデミーの生徒たちがサッカー以外の部分でも社会性や人間性を育めるような取り組みをしたいと考え、蛭田牧場さんにご協力いただきました」
アカデミー福島が掲げる人材育成の目標は、サッカーを通じて社会の先頭に立ち、貢献できるリーダーの育成にある。世界に通じるプレーヤーを育てるだけでなく、地域とともに歩み、感謝の気持ちを持って社会と関われる人間力の養成も重視している。
「地域の方々の温かさや支えに触れながら視野を広げ、主体的に地域に関わっていけるようになってほしいと考えています。また、アカデミーでは"トレーニング・休息・栄養・学習"の4本柱を掲げています。今回の体験は『栄養』の理解を深める『食育』の貴重な機会となりました」
【初めての牧場体験が教えてくれたこと】
当日、牧場を案内したのは、蛭田牧場の蛭田あやのさん。東京農業大学を卒業後、都内の農業関連企業で経験を積んだのちに家業に戻り、現在は家族とともに酪農に取り組んでいる。
体験当日、選手たちは牛の多さや独特なにおいに最初は驚いた表情を浮かべていたが、次第に笑顔が広がっていった。蛭田さんの説明に耳を傾け、牛舎では経産牛とのふれあいや搾乳ロボットを見学。子牛に優しく触れながら餌をあげ、最後には哺乳舎で2頭の子牛と散歩しながらふれあった。分からないことには積極的に質問する姿も見られた。蛭田さんは目を細めながらその様子を回顧する。
「『可愛い』『あったかい』という声が多く、牛が褒められるのは自分のことのようにうれしく感じました。酪農家にとって当たり前のことが、皆さんには新鮮で特別なんだと気づかされました」
搾乳ロボットの見学や哺乳舎での子牛とのふれあいでは、説明をよく聞き、丁寧に対応してくれる選手たちの姿が印象に残ったという。
「子牛に引っ張られても動じない皆さんのパワーに驚きました。たとえ子牛でも、大人が引っ張り負けることがあるんです。やはり日々のトレーニングが、こういう場面でも発揮されるのだなと感じました」
トレーニングや試合、学業のルーティンの中で日々、鍛錬を積んでいる選手たちにとって、牛と直接ふれあう得難い機会は、新たな気づきをもたらした。
「動物や牛に苦手意識を抱いていた」という福田は、子牛の散歩を通じて自身の内面にも変化が生まれたと語る。「実際に子牛に触れてみたら可愛いと感じました。苦手を克服できた経験が、サッカーにも生きると思います」
DFの松本有波は、体験を通じて地域との関わりや、普段口にする食材がどのように生産されているかを肌で感じ、感謝の気持ちの重要性を改めて実感したという。
「2年目で地域の方と触れ合う機会は多くありませんでしたが、農業について初めて知ることが多く、すごく勉強になりました。もともと動物が好きですが、子牛と触れ合うのは初めてでした。牛乳など、普段の生活に欠かせない食材を提供してくださっている方々に、感謝の気持ちを忘れずに生活していきたいと感じました」
JFAアカデミー福島の発案で始まった今回の取り組みがもたらした価値は、蛭田さんの言葉にも凝縮されている。初めての団体案内で当初は緊張していたが、選手たちの積極的な姿勢が自信につながり、スポーツやチームへの関心も生まれた。
「普段の生活でサッカーやスポーツチームのことを意識することはありませんでした。でも体験を通して会話を交わす中で、選手の皆さんの人柄やチームの雰囲気に触れ、試合を見てみたいと思うようになりました。JFAアカデミー様のように、地域に誇れるような美味しく、安心・安全な牛乳をこれからも生産していきたいです」
【地域に根ざした「アカデミーらしさ」】
JFAアカデミー福島にとって、地域との関わりは一過性のイベントではない。今回のような取り組みを通じて、「JFAアカデミーが福島にある意味」を選手たちが体感したことこそ、最大の意義と言えるかもしれない。綿貫総務はこう語る。
「今回のような体験を、できれば毎年実施していきたいと考えています。サッカーでは得られない学びが、地域との関わりの中にはたくさんあります。福島でともに暮らし、ともに歩みながら戦っているという実感を持つことで、心から応援したいと思ってもらえるような選手に育ってほしいと願っています」
地域の一員として、地元の文化や暮らし、支え合いの精神を知り、そこから得た気づきを競技や日常に生かしていくこと。それは、未来のなでしこたちが「社会に貢献するリーダー」として羽ばたくための、大切な一歩になる。
そしてこうした取り組みは、JFAアカデミー福島にとどまらず、なでしこリーグ全体にとっても、クラブの価値や存在意義を改めて社会に発信する貴重な機会となる。
サッカーと農業――。一見交わらないように思えるふたつの営みが交差した中で生まれた、食育への理解と地域への感謝の心。それは、これからも地域とともに歩んでいく選手たちの原動力となり、未来への確かな一歩を後押ししていく。
文=松原渓(スポーツライター)